皆さん、夢はありますか?
私には常に夢があります。叶うと次の夢を追いかける、そんな生活を続け、現在では学生時代の自分には全く想像できないような人生を送っています。
私が整形外科医になったのは、アスリートの気持ちのわかるスポーツドクターになるという夢を叶えるためです。陸上短距離の強化指定選手だった私は、地元開催のインターハイに向けた冬季練習の最中に、右足関節を骨折しました。病院で包帯を巻かれたと思ったら、それが突然固まり、衝撃を受けたのが始まりです。最初は「練習休めてラッキー」と楽観的でしたが、周りでは再起不能って囁かれていたみたいです。大事な試合に間に合わせたいという選手の気持ちは、経験した者にしかわからないと思いました。「夢はスポーツドクター」響きもカッコいいです。初志貫徹で卒業後迷うことなく整形外科を選択しました。
大阪大学整形外科へ入局したのは2002年、5年目の時です。肩関節鏡に魅せられ、そのパイオニアである米田稔先生のもとで修行することになったのです。大阪厚生年金病院(現JCHO大阪病院)のスポーツ医学科で3年半、肩関節鏡の基礎から応用までみっちり叩き込まれました。肩ですので、全国から有名な野球選手や、コンタクトスポーツの選手がたくさん来院されました。投球障害の選手の手術前日は、投球テストといって、肩へブロック注射後、ボールを投げてもらい、投球時の真の痛みの原因を探るというマニアックなことをやっていました。ブロックで痛みがなくなると、140km/h級のボールを容赦なく投げてくる選手もいて、流石にグローブで受けずに逃げましたね。忙しかったけれど、新しい発見ばかりでワクワクする毎日でした。保存治療で限界のある選手を手術で治すというのもスポーツドクターの一つの形だと思います。米田先生は臨床研究にも熱心で、国内外での学会発表や論文作成の機会をたくさん頂きました。その過程で、オリジナリティ溢れるフランスの肩関節外科の世界に興味を抱きました。次の夢はフランス留学です。
2008年、日仏整形外科学会の交換研修生に選出され、3ヶ月間フランスの肩の3大巨匠の施設で研修しました。どの施設も世界中から見学者が絶えず、たくさんの出会いがあり、世界が一気に広がり、価値観もガラリと変わりました。季節は4―6月、場所はリヨン、ニース、アヌシーと南が中心で気候はよく、グルメやワインも楽しめ、全てが最高でした。当時妙齢であった私にとって、将来の夫探しも大切なミッションでした。先輩に「モナコで石油王を見つけてこい」と背中を押され、そのために着物を持参(スーツケース1個占拠!)。もちろん石油王なんかに出会うわけもなく、撃沈。いつか必ず戻ってくると決意し、次の夢はフランスへの長期留学(+夫探し)となりました。
2010年、リヨンへ長期留学することになりました。Centre Orthopedique Santyというプライベートクリニックで、肩の手術件数はヨーロッパ1です。フランスのみならず世界の肩関節外科を牽引してきたGilles Walch先生が師匠です。前回の交換留学でも1ヶ月研修しており、印象に残っていたのでしょうか、年に一人の有給official fellowに選出して頂きました。当時、日本では未認可であったリバース型人工肩関節と、反復性前方脱臼に対する烏口突起移行術であるLatarjet法を中心に学び、それに対する臨床研究を行いました。それまで肩関節鏡の手術ばかりしていたので、オープンの手術を一から学べたのは幸運でした。
フランス留学は女性に向いていると思います。食べ物は美味しく、街並みは美しいし、ヨーロッパ各国への旅行はし放題。和食やアニメなど日本の文化が浸透していて日本好きの人が多く、どこへ行っても好意的に受け入れてもらえます。フランス留学に興味がある先生は、ぜひご相談ください。日仏整形外科学会の交換研修委員もしていますので。
夏はヴァカンスでクリニックが1ヶ月クローズしました。ヴァカンス命の国なので、休暇中に手術を希望する患者さんは皆無なのです。私もフランス周遊の旅に出ました。一人旅だったので、感動を共有できる人がおらず、少し飽きてきた頃に旅先でシュッとしたフランス人に出会いました。今では私の夫となっています。帰国した時は「あの水野が仏人男を連れ帰ってきた!」とちょっとした騒ぎになりました。
シュッとした仏人男性と結婚後、二児を出産しました。子供の生態というのは予測不能で、いざという時に限って、熱が出たり、いろいろやらかしたりしてくれます。育児と仕事を比較すると、自分でコントロールできるという意味では、仕事の方が100倍楽です(ですよね?後輩のみんな!)。とはいえ、子供の笑顔や可愛い言動に癒されているのも事実で、この歳で二人も授かったことにひたすら感謝する毎日です。妊娠・出産に関しては、医局と所属病院の理解があり、育休を希望通り取得できました(スミマセン、1年×2も取っちゃいました)。勤務先には院内保育、病児保育が完備していて、さらに夫が家事育児に協力的であるという、大変恵まれた環境にあります。現在、たくさんの子育て中の後輩がいますが、皆、仕事と家庭を両立できる環境をしっかりと作り、希望通りのキャリアを積んでいっていて、頼もしい限りです。姉さんはいつも応援してるよ、みんな!
さて、このように私が次々と夢を叶えていけたのは何故でしょうか。それは、国際学会への参加や留学を快く承諾し、送り出してくれた阪大整形外科と所属病院のおかげでしょう。また米田先生、Walch先生と超一流の師匠の元でトレーニングできたことも大変幸運でした。自分一人では到底なし得なかった夢ばかりで、感謝しかありません。あとは運がいいこと、夢に対して貪欲であることは否定できませんね。どの経験も今の私にとって宝物です。
では、皆さんの夢は何でしょうか?まずは医師になることが夢で、その先は漠然としている先生も多いかもしれません。また夢というのはライフステージによって変わってくるものです。バリバリのキャリアウーマン(死語?)になりたいと思っていても、子供が生まれた瞬間に、そんな考えは吹っ飛んで、子供との時間を大切にしたいと思うかもしれません。阪大整形は、職場の選択肢の幅が広いので、どんな働き方でもできると思います。子育てが落ち着いてから、手術のトレーニングをするもよし、子育てをしながらキャリアを積んでいくもよし。ちなみに最初から手術ができる先生はいません。もちろん手先が器用な先生はいますが、それはごく一部です。手術のトレーニングはまず模倣から始まります。そういう意味では、各分野で超一流の先生が揃っていて、最先端の正しい技術を習得できる当医局は、手術のスキルアップへの一番の近道かもしれません。良い師匠に巡り合えるといいですね!
最後に。5つの夢を叶えた私の今の夢は、何だと思いますか?
それは内緒です(笑)。今度、女医会でお会いした時にでも。
大阪大学整形外科は、女性医師の多様な夢を確実にサポートしてくれる医局だと思います。
一緒にたくさんの夢を叶えましょう!